2019年2月3日日曜日

凡例なき地図の時代で

<この文章の内容>

※GoogleMapがゼンリン提供のデータを使用していた頃の記事です。

ネット地図(オンラインマップって言ったほうがいいですか)って凡例がないけどどうなんだろうね、という話。
別に結論とかはないです。


<本文>

ゼンリンが各地図サービスに提供しているネット地図データは世界に誇れるほどの詳細さを持っている、とても優秀なものである。私ももちろんいろいろお世話になっている(Zmap以外のデータの具体的な中身は見たことはないが)。

しかし、大きく残念なところがひとつだけある。それは、作図基準がわからないことである。

例えば、ゼンリンのデータを使用しているGoogleMapで道路を見てみる(注:2019年2月現在の内容です。現在は使用していません)。高速道路・有料道路はオレンジ、国道は黄色で塗られている。これらは基準が比較的はっきりしている。問題はそれ以下の道路である。

大別すると、
1.白く塗られている道路
2.塗りがなく道路縁のみの道路
3.現地(写真)に道路は存在するが道路縁すらない道路(そんなにはないが、路地や遊歩道)
がある。
これらの基準は一体どのようになっているのだろうか。

たいていの人は小学校で習ったと思うが、昔の紙の地図であれば、片隅にある「凡例」を見れば図の規則がわかる。しかし、GoogleMapには凡例がない。それどころか、ほとんどのネット地図には凡例がない。したがって記号やラインが何を示すのかは、乱暴な言い方をすれば「常識で考えよ」「空気を読め」というしかない

ちなみにMichelin mapsにはちゃんと凡例がある。ただし日本の地図を見てはいけない。

なぜ凡例がないのか考えてみる。まず、GoogleMapは統一基準でイチから作成した地図ではない。国や地域によって借りている元データが違うのはもちろん、何をどう作図するかはその文化による。GoogleMapのような全世界を繋げた地図で世界基準の凡例を作るのは困難である。これは世界を相手にした時の物理的な問題である。

しかし、国内のみなど地域を限定したネット地図でも、やはり凡例がない場合が多い。これはなぜか。私が考えるに、「基準を決めてしまうとそのようにデータを作らなくてはならなくなるが、そうしたくない・できない」からではないか(憶測)。基準を決めずにバラバラに作られたデータが元になっていると、公開した基準通りに直さなくてはならない。しかしそんなことをして利益になるかといえば、そうではない。地図としては信用が上がり立派になるが、それだけである。基準がわからなければ「基準と違う」というクレームも来ない。だから、あえて基準は公開しないのではないか。あくまで想像、ね。

ただ、例に上げた道路の問題に立ち戻ると、些細ではあるがいくつか問題が浮かばないでもない。

まず、基本的に日本国内のGoogleストリートビューは「塗られた道路上」のデータのみを公開している(徒歩・自転車・船など自動車以外の撮影は除く)。つまりゼンリン側が何かの基準で「塗る」と決めた道路を、Google側は「公共的な道路」と捉えたのだと思う(面倒だから)。

しかし、例えば市町村の道路網図(市町村の管理道路を示したもの)で見ると、国県道でも市町村道でもなく認定外公道でもない道が、Googleでは白く塗られているケースはよくある。日本のやや古い住宅街の街路は私道がけっこう多いのだ(ただし通行の規制をしていないこともまた多いため、普通歩いていても気づかない)。そうすると、(公共機関が管理していないという意味での)私道をストリートビューで撮影して公開している部分が多数あることになるのだが、それはOKなのかどうなのかと問題化される、かもしれない。

↓わかりやすい場所で例を示してみた(現在はゼンリンのデータではないため、ベース地図はマピオンのこのあたりを参照してください)。



ちなみに幅だけで判断しているのか港湾部や工業地のゲートつきの私道も白塗りが多い(入れないからストリートビューはないが)。こういうのは、現地で「地図に描いてあるから通っても良いと思った」というふうにユーザーに使われてしまう可能性もある。家屋単位では1棟ごとの細かい地図であるのに、道路単位では通れるのか(通って良いのか)わからない、または道が見当たらない、というのは利用する人によってやや不便かもしれない。もちろんそこまで求めるのは酷なのだが、下手に家屋が細かいせいで道路にも同じレベルを求めるようになりがちではないかと想像する。杞憂なら良し。

そもそも道路ってなんだろう、というところも話がややこしい。地形や土地利用としての道路、役割としての道路、建築基準法や道路法や道路交通法など各種法律上の道路、地目としての公衆用道路など、いろいろな文脈が実はある。問題にはなりづらいけれど。

道路は地形として道路であっても現地や各種資料を見なければ種別が決められないのが面倒なところで、これはオープンストリートマップのキーにも言える。あれも国内に当てはめるには相当きつい(タグが欧米向けすぎるのも悪いが結局世界基準の凡例を作るのは難しいという話に戻る)。

道路以外でも、例えばGoogleMapの記号の基準も謎である。スポーツクラブに温泉マークが当てられ、幼稚園や保育園も高校や大学と同じ「文」だし、お寺はなぜか一般施設と同じ丸いマーク(卍がヤバいから?)、白っぽい丸記号とグレーの丸マークの違いも不明(表示の重みづけが違うのはわかるが使用基準が謎)、そのうえ投稿データでおかしなものをガンガン追加されている(まだ少ないがすでにコントロールがつかなくなってきている)。このあたりはもう、個人的に諦めの範疇。

とぐだぐだ書いては来たが、凡例がなくても何となく地図を使うことは無論可能だ。A地点からB地点まで♪ルート案内で行ければ多くの人にとって問題はなく、無料で運営されるネット地図はそれで良いというのはもっともな考え方であり私も賛成はする。ただ、凡例というガイドラインの不在が、ユーザーが地図を理解することを難しくしてしまっている・あるいは解釈違いを起こすことがあるという点は多少なりともあると思う。逆に、地図作りに対しての責任をいくらか軽くしてもいるわけだけど。多分。

個人的にすごく問題だと思っているわけではなく、ただ「明かせる基準は明かしてほしいし、バラバラならそう言ってほしいなぁ、文句言わないから」という感じかな、ここまで書いといてアレだけど。この文章は1-2時間くらいで適当に書いてますのでご了承を。

さて、「凡例なき地図の時代」の次の段階として、ユーザーからの投稿データを地図に反映していく時代にすでに差し掛かっている。「市民が観測者である地図の時代」だ。こうなってくると、いよいよ地図の信用をどう担保するか、また悩ましいことになりそうだ。このあたりの話は、またそのうち。



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